歴史から見る日本と海外の「おもてなし」と「サービス」の違い
皆さんが旅行する際に「宿」に泊まる、ということについて考えてみたことはあるでしょうか?旅に出て風情を感じる一方で美味しい食事や上質なサービスを受けることでより一層その思い出は味わい深くなっていくものです。そんな「おもてなし」や「サービス」について、今回は「宿」と「歴史」という点から日本と海外の文化の違いをお話させていただきます。
歴史で見る日本と海外の「宿」の違い
そもそも日本と海外の「宿」の違いとはなんでしょう、それは「食事の有無」となります。
海外では基本的に食事が出る事はなく施設内のビュッフェや近くのレストランでの食事が中心になりますが、日本の旅館では一日二食が基本で、部屋食が出る事もあります。これは海外では考えられない事で、この違いの原因はそれぞれの宗教・文化にあります。
元々「宿」という言葉には旅に出る際、雨風をしのげる場所を提供する場としての意味があります。
海外では修道院等が「宿」の中心にあったようですが、場所を貸すだけなのに食事も出すということが文化的になかった事が理由になります。
では日本はどうかというと、こちらは平安時代に遡ります。そのころ日本は仏教が大ブームしており、日本中に仏教が広まった時代でした。盛んに修行や巡礼が行われていく中で、修行者たちが宿泊する場所は「寺」でした。当時は巡礼のような大掛かりな行事は特に将軍や貴族に多く、宿泊者もそのような身分の高い人ばかりでした。そういった人たちの為に食事を出した事が事の始まりだといいます。こういった時代背景から日本の旅館や、宿における「おもてなし」は始まっていきました。
さらに後の時代になっていくと、ビジネス志向とおもてなし志向としてのサービスの違いが明確に分かれてくるようになっていきます。
江戸時代の日本と当時の海外
イギリスでは中世から近代にかけて「イン」「ホテル」が発展します。この時代になってくると商業としての「宿」の形がはっきりとしてきます。労働組合が結束され、一般向けの施設から高級な施設まで幅広く展開されるようになりました。そして、この頃から宿泊料を請求するようになります。しかしながら、当時のイギリスは盗難やぼったくりの被害が大変多く発生していた為に、宿泊中に起きた面倒ごとに対する責任問題を明確にする法律が策定されるようになります。このことから従来は宿泊料も自由に決めていましたが、制限を設けられるようになり、それに見合ったサービスを提供する形が定まっていきます。また、この時代頃から、労働組合に登録している施設では、バトラー(フロントスタッフ)、シェフ等の職種が振り分けられるようになり、現在におけるホテルの形が出来ていくようになったのです。
同様に日本でも「宿場町」が発展していきます。経済の発展に伴って、一般層の人々も生活に余裕が生まれ始めました。そのような背景から、瞬く間に「宿場町」は発展していきました。当時の決まりでは、宿泊客は「宿」を無料で使えるが、「感謝の気持ち」としてお金を渡す、という風習がありました。それに対して「おもてなし」を振る舞う、というのが一般的でありました。江戸時代中盤になると正式に「宿泊料」をもらえるようになりましたが、文化としての「おもてなし」の名残が現代にも引き継がれています。イギリスと違い、まだまだ家業としての一面も強く、家族全員で奉公することが当たり前でした。逆に言えば、家族だったからこそ、伝統として「おもてなし」の心は引き継がれていったのかもしれません。
いかがでしたでしょうか。長年の宗教や文化の違いから現代に至るまで、これだけ大きな違いがあるというのは趣深さを感じます。日本は「宿」としての歴史がそこまで深くありませんが、だからこそ「おもてなし」の心を持ったサービスがここまで注目されているのかもしれません。しかしながら、海外におけるホテルサービスの洗練には長い歴史が実績として残されています。今後旅行に行かれる際には、このようなことも思い返してホテルを見てみると、また一層味わい深い経験になるかもしれません。